礼拝は崇高な召し

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Bethel Church Sermon of the Week

Religion & Spirituality


エゼキエル44:15、16。詩篇100篇、出エジプト20:19 私達ベテル教会は、礼拝者として預言的な事柄や癒し、神の御声を聞く事を学んできました。そして、礼拝は私達の教会の土台であり、そこからすべての事は流れてきます。 私の父が70年代始めに、「神に向かって歌う」事を礼拝の教えのなかで、語りました。それまでは「神の事を歌う」賛美であったので、大きな移行になりました。 父なる神は礼拝者を求めているのです、礼拝ではなく、礼拝者です。神は愛なる方で、その動機はすべて愛です。その方が礼拝者を求めていて、私達をそのためのデザインで作られたのです。それは、私達にとっても礼拝は「御子の姿に変えられる」事を起こすからです。 感謝、賛美、礼拝、これらは同じではなく、感謝を捧げる事は、神が私達にすでにしてくださった、出来事を思い出し、感謝を捧げる事です。感謝の心を持つだけでなく、感謝を捧げる事は、「口に出す」必要があります。